氏名 清水信吉
1942年 栃木県足利市出身
1967年 某大学大学院修士課程理学研究科修了
1967年 某化学会社へ入社、愛媛の研究所で触媒研究に従事
1985〜2005年 同関連会社に出向、後年移籍
研究所長、取締役、常務取締役、技術顧問等を歴任
2004〜2010年 地球環境関連研究所主任研究員
触媒学会会員(2003年度 副会長)
英国王立化学会雑誌のレビュアー他
1961〜1963年 大学ワンダーフォーゲル部
1970〜1985年 某化学会社愛媛登山部 部長等を歴任
この部で2種指導員の先輩や愛媛県山岳連盟で繰り返し受けた沢登りや雪山訓練が
今のベースになっています。
同OB会会員
AACK 関連 雲南懇話会 ML会員
国内の登頂 約1100山余
海外ではアルプス、カナダ、ヒマラヤから中国の横断山脈、カムチャツカ、アンデスも歩きました。
昔訪れたかった中国西域地方もまた行きたい気持ちになっています。史記、漢詩の世界です。そしてパミールやカラコルム、そして宮本輝の小説で慣れ親しんだフンザも行きたいものの今は戦乱で危険です。
パタゴニア南端そして最近アリューシャンの雪の火山群にも興味深々です。
山岳写真にも入れ込んでいます。重い三脚、替えレンズ等を含め、他人より5,6キロ余計に背負わねばなりません。小屋泊まりでも20キロになります。
荷はほとんどポーターが持ってくれるヒマラヤでも、カメラ関係は最後まで自分で持たないと撮りたい時、すぐに撮れません。連れのプロカメラマンと二人してエベレスト直下の標高5,560mのカラパタールで夕暮れまで粘って、見事真っ赤なエベレストとヌプツェを納めました。真っ暗な中、路も定かでない小屋のあるゴラクシェプまで降りたのはいい思い出です。小屋の手前で心配したサーダーらが迎えてくれました。2.3キロの三脚はヒマラヤもアンデスも台湾の玉山の頂上にも登った戦友です。
ましてや山スキーとなるとさらに靴も重く、板とビンディング、ピッケル等も増えるのでカメラや三脚は小型のものにするなどして抑えますが、それでも22-24キロ近くなります。最近は私も麓をベースにした、軽装の楽な登行が多くなりつつあります。
話題 (予定も含め)
完成版