尾瀬とはるかな山、平ヶ岳 1/関西の山の会会員募集「山があるクラブ・U」登山クラブ

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話題14-1  尾瀬とはるかな山、平ヶ岳 1
      観光客が容易に入れるようになった現在、訪ねないのが、自然にとって最もいいこと。しかしまたあの
      素晴らしい景色と再会したいと思います。尾瀬は私の登山の動機であり、今も惹き付けてやみません。

 幼い日の私にとって高い山と言えば赤城山でした。足利から最も近い高山が赤城山で、次に遠いのが浅間山、そして冬には富士山が秩父の山々の上に顔をのぞかせていました。赤城山は外輪と中央火口丘の峰々を渡良瀬川の上流に連ね、南にとてつもなく広いきれいな裾野のカーブを見せていました。母の実家が赤城山山頂部から麓へ広がった粕川村(現在は前橋市)だったのと、父のアルバムに赤城山の写真があり、赤城登山のことはよく聞かされていました。
 そして赤城山の奥に尾瀬というところがあると知ったのは、東武電車の映写会で尾瀬の自然や風景を見てからです。恐らく中学生の頃で60年近い昔の話です。そのとき見事だったのはニッコウキスゲの群落とアップされた花です。こんなにきれいな、輝くような花があることを初めて知って憧れの花になりました。
 兄がそのうちに尾瀬に出かけて写真を見せてくれましたが、具体的にはそこがどこかも花の名も分かるものではありませんでした。

 憧れの地に行くことができたのは1963年大学3年のときでした。高校時代の同期の友人S君と6日間の尾瀬でした。
 初日は沼田まで行き、そこから夜行バスで大清水に着き、夜明け前から、三平峠に登り、朝日に照らされた燧岳を見ながら尾瀬沼湖畔に着きました。8月初めながら、わずかながら水芭蕉の花も咲いていました。
 長蔵小屋にキスリングをおいてニッコウキスゲの終わった大江湿原を抜けて長英新道のオオシラビソの林の中を登り、燧の頂上に立ちました。下には紡錘形をした尾瀬沼が光り、西には尾瀬ヶ原の湿原とその向こうに至仏岳が緩い三角形を見せていました。
 ナデックボを降りて船で長蔵小屋に戻りました。
 3日目は尾瀬ヶ原十字路に出てここから平滑ノ滝、三条ノ滝を往復しました。只見川本流が70m余り落下する三条ノ滝は日本一の迫力です。
急な踏み跡をたどり滝壷まで降りてみました。その後十字路に戻り、尾瀬ヶ原を縦走して山ノ鼻に着きました。山の鼻小屋に2泊しました。湿原の中に流れる清冽な水や池塘の浮島、ヒツジグサ、オゼコウホネ、カキツバタ等の花があきることなく続きました。
 4日目は菖蒲平への往復、その高層湿原は踏み荒らされて、植生は全滅していました。その後植生回復に手が付けられて今ではかなり自然が戻っていると聞いています。帰路猛烈な雷雨に会い、ポケットに入れた眼鏡を無くしてしまいました。
 5日目は鳩待峠経由至仏山に登りました。尾瀬ヶ原、上田代の数百もの小さな池塘が眼下に光っていました。蛇紋岩の山頂にはホソバウスユキソウなどが見られました。
 ここから笠ヶ岳を越えて奥利根の湯ノ小屋温泉に出ました。笠ヶ岳はニッコウキスゲも咲く草原の中の岩の頂でした。この後の路は2〜3mもの根曲がり竹の密林で、路を探すのも、笹を分けるのにも苦労しました。この10キロ以上の長い路はこのあとずっと地図の登山路の線も消されていましたが、最近復活したようです
 湯ノ小屋温泉は藁葺きの3棟ほどのひなびたものでした。広い部屋に二人で泊まりました。
 10年ほど前に湯ノ小屋には車で行ってみましたが、大きなホテルが2、3軒も建っていて昔の面影はありませんでした。
 6日目にバスで水上に出て足利に帰りました。

 その後水芭蕉を目的に1973年6月の尾瀬沼〜富士見峠、1974年5月尾瀬沼〜尾瀬ヶ原〜至仏山に会社の後輩と出かけました。1974年5月の至仏山は非常によい天気で奥利根の奥深い山、平ヶ岳、その向こうの越後三山、そして谷川連峰が実にはっきり見えました。残雪期しか尾瀬側からはアクセスできない平ヶ岳(2140m)がこのとき次の大きな目標になりました。
 1975年5月山の鼻から平ヶ岳〜景鶴山へ単独で登りました。その時山頂からサッーと瞬く間に去ってゆく山スキーのパーティを見て、それが山スキーをする契機になりました。1996、1997そして1999年の三度の山スキーによる平ヶ岳登山への挑戦が続きました。1999には再登に成功し、積雪期外登山禁止の景鶴山にも再登できました。
 1978年7月には念願の大江湿原のニッコウキスゲの開花を妻とテント2泊の旅で見ることができました。
 平ヶ岳についてはまた話題を改めて詳しく書くこともあるかもしれません。私にとって青春?〜中年の大事な山です。
 

    
猫又川右俣、左俣分岐で雪洞を掘り泊まる(1975.5)   平ヶ岳山頂の大雪原、向こうに越後三山(1975.5)

      
    白沢山からの平ヶ岳(1999.5)                 平ヶ岳山頂(1999.5)
    この付近は雪庇のクラック等を縫って縦走

 1999年以来尾瀬には入っていません。今や尾瀬沼北方の沼尻峠までバスが入って観光客が驚異的?OR 脅威的に増えました。そうしたことも尾瀬の再訪をためらわせています。残雪期の春、秋そして戸倉のロッジ長蔵などが主催するバックカントリースキーや山スキーツアーなどならそうしたためらいもないような気がします。
 弟もしばらくボランティア医師として尾瀬に詰めていたこともあり、ロッジ長蔵に泊まった折はその時の話なども女将から聞きました。
 やはりいつかは再び訪れたい尾瀬です。  2011.9.28

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