日本列島の形成/関西の山の会会員募集「山があるクラブ・U」登山クラブ

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話題31  日本列島の形成

 日本列島と言うと、もちろん今の太平洋に張り出した四つの島からなる弧状の形を思い浮かべます。その中に西南部と東北部を分けるフォッサマグナ、糸魚川-静岡線とか、西南部を縦断する中央構造線と言う言葉は古くから教科書に載っていました。しかしその意味するところはほとんど教えてもらえませんでした。

しかし20世紀後半からの地球物理や地学はプレートテクトニクスやプルームテクトニクスと言った新しい概念によって大きく進展しました。ですからフォッサマグナも中央構造線もその意味自体が全くと言っていいほど変わりました。大陸やプレートの移動と言ったマクロなことだけでなく、局地的な小さな地形や地質まで、その生成過程が示されるようになりました。

国内の山登りをしていて日本列島はどのように形作られたのかと思うこともありますが、最近の地学研究の結果から結論だけでも書いてみます。
 地球ができてから46億年経ちます。そして35億年前に生物が誕生したと言われています。その後、酸素濃度増大(255億年前)、真核生物誕生(1513億年前)、地球全体が何回か凍結したスノーボール(255億年前)、生物の爆発的進化(5.4億年前〜)、三葉虫誕生(5.4億年前〜)、恐竜の繁栄(2.50.65億年前)、そして何回かの生物大量絶滅(・、・、4.433.542.480.65億年前)がありました。

0.65億年(65百万年)前の生物大量絶滅は天体が衝突したもので恐竜がほとんど絶滅して哺乳類繁栄の元となりました。人類の誕生は75百万年前のことです。

この間約5.5億年前には、現在の南極大陸、南米、アフリカ、南欧、中近東、インド、オーストラリア、東アジアからなる超大陸、ゴンドワナ大陸ができ、約1億年で分裂し、次いで約3億年前北米、北欧、シベリア等も一緒になった超大陸、バンゲア大陸ができました。これも2.5億年前には分裂を始め、現在の陸地の配置へ移行してゆきました。特にインド大陸が北上して約40百万年前にユーラシア大陸に衝突し、潜り込み、ヒマラヤ山脈やチベット高原を形成したのが目立ちます。(図@、図A)

地球 日本列島
     
46億年前 地球誕生
40億年前 最古の生物化石
25億年前
スノーボールアース
最古の真核生物化石
スノーボールアース(2回)
ゴンドワナ大陸
5.4億年前
三葉虫
生物の爆発的進化
4.43億年前 生物大量絶滅
3.54億年前 生物大量絶滅
3.0億年前 バンゲア大陸
2.48億年前 史上最大の生物大量絶滅(シベリア巨大噴火)
恐竜繁栄 初期日本列島誕生
65百万年前 天体衝突、恐竜大量絶滅
40百万年前 インド亜大陸、ユーラシア大陸に衝突
19百万年前 日本海誕生
7百万年前 人類誕生

    



日本列島の形成についての歴史が見えてくるのはわずか1.3億年前からのことです。下図Cにその頃の日本列島を示します。まだユーラシア大陸の東端の浅い海底でした。驚いたことに日本列島は今の列島を縦に2分した形になっています。今の中央構造線を挟んで日本海側を内帯、太平洋側を外帯と呼んでいますが、この図では内帯は九州、中国、本州中部からなり、今よりずっと北、朝鮮半島東〜サハリンの位置に、そして外帯は九州中部、四国南部、西南日本、東北そして北海道西部からなり、今の台湾から中国地方の位置にありました。強烈なイメージを与えてくれます。

これらの内帯、外帯とも南の海のその頂上にサンゴ礁を載せた海底火山や太平洋プレートが西の陸地に潜り込むことによって陸地川に盛り上がる付加体と呼ばれる岩石帯からできています。内帯のサンゴ礁は秋吉台、伊吹山および青海等の石灰岩地帯にそして外帯のサンゴ礁からは高知県鳥形山や秩父の石灰岩地帯となります。外帯の顕著な地質脈、三波川帯や、四万十帯が伸びています。これらの内帯と外帯が反時計回りに横ズレして今のようになってゆくわけです。

以後の変遷を平朝彦著、「日本列島の誕生」、1990岩波書店にもとづき追ってゆきます。
 70百年前(図E)にサハリンと北海道中部が現れます。そして内帯の火山活動が盛んとなります。この頃中央構造線の活動が最も盛んでした。

25百万年前(図G)、ユーラシア大陸との間が割れて地溝帯ができ、そこが湖沼群となります。丁度東アフリカの大地溝帯が広がってゆくのに似ています。東北海道と千島弧を持つオホーツク地塊が北海道中部に衝突して日高山脈ができます。また太平洋プレートはふたつに分かれて新たにフィリピン海プレートが現れます。

19百万年前大(図H)、陸との間の地溝帯はさらに拡大して海が侵入します。日本海の誕生です。

15百万年前には外帯の屋久島、足摺、石鎚山、屋島、那智などの火山活動が見られました。

14.5百万年前(図J)日本西南部は時計回り回転し、東北部も共に東に押し出されて、日本海は今の形に近くなり、拡大は終了します。この間東北部は半分水没状態でした。

8百年前(図K)東北部が隆起して、火山活動が活発化します。

5百年前(図L)フィリピン海プレートが衝突して丹沢山地が、そして伊豆島も衝突して伊豆半島ができます。富士山、八ヶ岳そして関東山脈もこのプレートの衝突と密接な関係があります。インド大陸がユーラシア大陸に衝突して潜り込んでいるのとよく似ています。これで日本列島の形はほぼ出来上がりました。

個別に各地の山々の隆起や盆地の沈降がこの後起こります。中部山岳について言えば、約2百年前から隆起が始まっています。現在の火山山脈の生成はより最近のことです。

フォッサマグナとはユーラシヤプレートの西南日本とフィリピン海プレートおよび北米プレートの東北日本との境界の地溝帯と言えます。西南日本と東北日本が日本海が広がる際に東に押し出されて、できた折れ目が引っ張られ、沈降してできたものです。
 中央構造線はこれまでひとつの日本列島を縦に割るようにできた断層という風に見ていましたが、そうではなく元々別個な塊ないし島であった内帯と外帯がくっついたときの接合線であると始めて知りました。その意味では中央構造線の東端は赤石山脈
(南アルプス)ではなく、新潟県北部まで至るものと考えられます。地質的に見るとはっきりしたものではありませんが赤石山脈以東ないし以北は群馬県下仁田そして福島県棚倉を通って山形県へ続いているようです。

ランドサット衛星から見た南アルプス西の小渋川と遠山川の切断線と四国山脈北辺の鋭くカットされた地形が印象的です。四国新居浜や西条から山脈の北側斜面を見ると同じ勾配で、平地へ向かう支稜がきれいに並んでいるのに驚きます。今なお活断層ですが、これに沿って四国高速道が走っています。
この南に広がる三波川帯は大変大きく、群馬の三波川石と同じく、付加体の岩石が地下の低温高圧条件で変性された結晶片岩で、伊予の青石とも呼ばれ庭石として珍重されています。四国にいた頃よくきれいな青石や赤石を加茂川や国領川で拾ったものです。

 フォッサマグナと中央構造線については(長野県)大鹿村中央構造線博物館のホームページに分かりやすく説明があります。
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/index.htm

 日本全国の地質については産総研の1/20万のシームレス地質図が素晴らしく、その土地の地質、生成年代他のデータが容易に得られます。
http://riodb02.ibase.aist.go.jp/db084/index.html    
2012.3.9

 

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