東北遠征番外編(個人)山行記録/関西の山の会会員募集「山があるクラブ・Ⅱ」登山クラブ

山行記録

東北遠征番外編(個人)

①9月30日(土)曇時々小雨 銀河ステーション・宮沢賢治記念館 &  釜淵の滝             

 伊丹を出発、岩手花巻空港に予定より早く到着する。レンタカーの手続きもあっという間に終わり、空港周辺の見学に向かう。
 まずは銀河ステーションと宮沢賢治記念館を訪問する。共通チケットを購入する。宮沢賢治の生涯が分かりやすく展示されていた。知らないことが多かった。

 遅い昼食は宮沢賢治も通った「やぶ屋総本店」でそばを味わった。店のHPには、創業大正十二年(1923)、宮沢賢治も足繁く通った蕎麦屋とあり、お椀を重ねる「わんこそば」は当店が発祥とのことだ。こだわりは、「そば・蕎麦粉」は(岩手早生)のみを使用した二八そば、「つゆ」は創業より代々引き継いでいる本枯節と昆布の出汁、「水」奥羽山脈の天然水を使用した名水仕込みとある。本来のわんこそばは、蓋を閉めるまでの食べ放題、見事100杯食べれば横綱認定だとか。値段は張る。賢治の注文はきまって「天ぷらそばとサイダー」だったそうだ。

   
     

 そのあとは、花巻温泉にある釜淵の滝を訪問した。温泉街の駐車場は結構な数の車が止まっている。見学するのに一番近い駐車場に到着後、滑りやすい道をゆっくりと進む。足元には少し花が咲いている。台川の大岩盤(高さ8.5m、幅30m)を清流が流れる様子は迫力満点だった。

 
 

101日 焼走り溶岩流

 八幡平下山後 雨が収まっていたので 岩手山焼走り溶岩流を見学する。国指定特別天然記念物に指定されている。1732年に噴火した時のもので長さ4km、幅1.5kmの大規模な溶岩流に観察路が設けられている。
 黒い岩のお歩きにくい道を
1㎞歩く。あたり一面は岩手山の北東斜面から流れ出た安山岩の黒い岩石帯が壮大に広がる。展望所からは遠く早池峰山が見えると書かれているが、それらしい山は確認できなかった。壮大なパノラマ景観をたのしみながら歩くことが出来た。
 散策路の終点には、当地を訪れた宮沢賢治による詩、「鎔岩流」の碑が建てられている。

   
     

説明:

 岩手山は歴史上過去5回ほど噴火しており、これは1732年に噴火したときのもので、噴出口から末端までの長さが3km、幅が1.5kmの規模です。焼走り熔岩流の名称の由来は、真っ赤な熔岩流が山の斜面を急速な速さで流下するのを見た当時の人々が焼走りと呼んだことによるものであると言われており、地元では古くから「焼走り」と呼ばれていた[3]。熔岩流の表面は波紋状の凸凹があり、これがトラの縞模様のように見えることから「虎形」と呼ばれている。また、しわ状模様の存在は、粘性が小さい熔岩であったことを示している。

 焼走り熔岩流は噴出時期が比較的新しいため風化作用が進んでおらず、その表面には未だに土壌が形成されていないことから植生に乏しく噴出当時の地形を留めている。溶岩流そのものは火山国日本では珍しいものではないが、表土や樹木に覆われず、地形的改変もないのは学術的に貴重であり[4]1944年(昭和19年)117日に国の天然記念物に指定され、1952年(昭和27年)329日には特別天然記念物に格上げされている。また、1956年(昭和31年)に制定された十和田八幡平国立公園の特別保護地区にも指定されている。

 今日では熔岩流末端に片道約1キロメートルの観察路が設けられており、積雪で閉鎖される冬季以外は自由に見学することができる。また散策路の終点には、当地を訪れた宮沢賢治による詩、「鎔岩流」の碑が建てられている。(ウイキペデイアより引用)


104日 鶴の湯
 東北遠征のしめは、乳頭温泉郷で最も古く由緒ある、秋田藩主の湯治場だった
 鶴の湯 で、汗をながす事になった。鶴の湯は乳頭温泉郷でも最も古く秘湯の名前がふさわしい。少々遠いが行くことにした。乳頭温泉郷へのメイン道から離れ車を走らせた。風情のある門構えや、建物はまるで時代劇のセットの様だ。

   
     
   
内湯     

内湯は狭い内湯は、以外に狭く浴槽は深く白いお湯で、底がよくみえず、初めてだと転けそうになった。此処で、転けては恥ずかしい(アッチッチ) 外湯までは、暖簾があるだけなので、移動するのには、機敏さが必要  ()。底には、小石が敷き詰められていて、疲れた足裏には気持ちがいい。(白柳)

解説:ウイキペディアより

鶴の湯温泉は乳頭温泉郷でもっとも古くからある温泉場といわれている。発見は江戸時代とされる。開湯当初は「田沢の湯」と呼ばれた。秋田藩の佐竹義隆も湯治に訪れたことがあり、本陣という建物があるのはその名残である。ただしこの本陣には警護のものが泊まったとされる。この本陣は2010年に登録有形文化財に登録された。

 現在に名前の由来は、1708年(宝永5年)に鶴が傷を癒している所を勘助というマタギによって発見された。このとき、これに因んで温泉名も「田沢の湯」から「鶴の湯」となった。白湯、黒湯、中の湯、滝の湯の4種類の源泉が存在し、泉質はそれぞれ以下の通りである。

 白湯:含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物・炭酸水素泉(硫化水素型)
 黒湯:ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉
 中の湯:含重曹・食塩硫化水素泉
 滝の湯:含硫黄-ナトリウム-塩化物・炭酸水素泉   (担当:南井)

参加者    会員5名(植木、梅川、白柳、塚本、南井)


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