龍王山は標高586mの三角点がある山である。奈良盆地の東、天理から桜井に続く山の辺の道がある春日断層崖沿いにそびえる山並の中で、最も高い山になる。
三角点の置かれた南城跡のある山頂からの眺めは抜群で、奈良盆地のなかに耳成山、香具山、畝傍山の大和三山、矢田丘稜の奥に生駒山、右手から二上山~葛城山~金剛山、吉野山の山々、六甲山が展開する。天気に恵まれれば、大阪湾からさらに遠く、明石海峡大橋まで眺望できる。
山周辺は、古墳時代には麓に古墳群が造られ、中世時代には山頂に山城が築かれ、龍王山城と呼ばれている。名前の由来は、柳本町や田・藤井町の龍王社がまつられているところから、龍王山とよばれている。山城は、戦国時代に十市氏によって築かれ、中世の史料には「龍王城」(後述)の名で登場する。
龍王山へのコースは、天理ダムから舗装道を歩くルート(ダムルート)、柳本駅から長岳寺の北コース(長岳寺ル-ト)や崇神天皇陵東側から登るルート(崇神ルート)がある。古墳群や山城の説明の入ったMAPをトレイルセンターで入手できる。観光協会のHPからダウンロードも可能である。
2018年1月28日(日) 曇り
守山駅から電車を乗り継いで集合場所の柳本駅に到着する。琵琶湖線が遅れ、ひやひやものの乗り換えになった。近鉄京都でもう一人と合流、柳本駅で大阪からの5名とは合流し、全員がそろった。
早々に、駅から東に直進する。交差点のある国道に出て、表示に従い、左折し、長岳寺に向かう。
しばらくで、長岳寺への綺麗な道にでる。国道を右折し、東に向かう。前方には龍王山がどんと構えている。正面に龍王山、長岳寺への綺麗な道、道端の柿の木の根元にイソヒヨドリがしきりに何か探しているようである。
特別に舗装された道をしばらく行くと、長岳寺への道、トレイルセンターの大きな駐車場に出る。直進すれば、長岳寺、右方向は崇神ルート、左手に進めば、本来の道、上長岡バス停からのルートに合流す
登山者は、長岳寺の山門を避けるような表示になっているが、かまわず、長岳寺に向かう。しばらくで、長岳寺の受付の分岐に出る。写真をとるため案内に従い右へ進むが、受付があり、この先は有料、十分な撮影にはならなかった。
長岳寺の入り口に戻って、先ほどのところを反対方向に進む。突き当たったところを、左手に少し戻るような格好で進むと分岐があり、龍王山への表示が現れる。ここからは直進の道である。
山すそにあたり、柿の産地らしく、多くの木がある。すぐ手に届くところに枝が出ており、秋になれば思わず手が出そうになるかもしれないなと思いながら詰めると、木立が現れ、いよいよ登山開始になる。表示は山頂まで2.4㎞、トレイルセンターから1.1㎞と出ている。
山頂まで2.4㎞表示、いよいよ登山道である。道は階段状の道で、いかにも古い雰囲気が漂よっている。左右に地蔵が現れる。スギとヒノキの植林の中を、結構深くえぐられ、ごつごつと岩が露出した道をゆっくりと登って行く。ここ数日の寒波で、降った雪が所々で残り、滑りやすいところも出てくる。
出発して1時間20分、このルートの目印になる、不動石仏に出る。小休止を兼ね、撮影をする。
柳本付近から見た龍王山 中央は北本丸跡、右が頂上と 南本丸 |
長岳寺 | |
不動石像 | 374mピーク付近の標柱 頂上へ1.3km |
小池のそばにある柳本龍王社 | 龍王城跡案内図 |
舗装道をしばらく行った先に山頂への分岐と、山城の詳細な説明がある。ただし、往時の城址跡はほとんど残っていない。急な階段をしばらく行った先が南城跡、龍王山山頂である。松や常緑樹、落葉樹がわずかにある広い山頂で、ベンチが5か所ある。
山頂からの眺めは素晴らしい。奈良盆地が見渡せ、大和三山が手に取るようである。
山頂から西の展望 金剛山~葛城山~二上山と橿原市を中心にした大和盆地 金剛山の手前が畝傍山その右手前が耳成山さらに手前が箸墓古墳。耳成山の左に天の香具山 |
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山頂での昼食 | 時雨れてきた金剛山 手前に畝傍山その右手前が耳成山 さらに手前が箸墓古墳 |
ひとしきり眺めを楽しみ、昼食にする。いつも通りのカップカレー麺とコーヒでくつろぐ。全員の記念写真を撮った後、元来た道を引き返し、案内板のところにあるトイレ横の遊歩道を進む。
ヒノキ林の中の道で、多少のアップダウンが続く。一旦、舗装道の馬池に下る。ここから、北城跡への道が分かれるが、荒れ果てているとのことである。
そのまま舗装道を進む。先に、龍王山城跡と彫った立派な石碑があって、ここから北城跡へ行くことができる。しかし、北城跡は、見るべきものもなく、見晴らしもないということで通過する。
スギやヒノキの間の舗装道をひたすら天理ダムに向かう。所々で残雪、更に日陰では道が凍りついている。
馬池跡から45分ほど歩き、やっと天理ダムに着く。パラパラと降っていた雪が、本降りになる。
幸いバス停は休むことができる。時間を見ると1時間10分以上も待たなければならない。調べ方が甘く、皆に申し訳ないことになった。タクシーを呼んで何とか早めに天理駅に戻れた。
毎年1月の例会の後には、総会を開く。京都にも、大阪にも都合の良い西大寺にでて、今年1年の計画を話し合い、懇談して無事総会を終了した。
解説:龍王山城
龍王山城(りゅうおうざんじょう)は、奈良県天理市田町周辺にあった日本の城。大和国を代表する山城の一つ。大和平野と大和高原にある山脈、龍王山の高所に築城されていた。藤井集落からの比高は約130mだが、国中からの比高は約485mあり、比高では高取城を越えており大和国随一である。また城域は広大で、中世城郭の規模が明確でない高取城を除くと大和国最大で、北城部分だけでも信貴山城の次いで第2位となる。龍王山城は北城と南城に分かれている。北城が本城で南城が詰めの城と考えられている。北城と南城には時期の差が考えられている。十市氏の全盛期は、十市から天理市の平野一帯まで十市郷とよばれる勢力圏を形成していた。十市の平城十市城と共に居城としていた。十市氏は、筒井氏、越智氏、古市氏、箸尾氏と並ぶ大和国五大豪族の一員であった。1997年(平成9年)には天理市教育委員会により南城の平場部分に発掘調査が行われた。城郭:龍王山城と周辺地域の空中写真/ 国土交通省国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成龍王社と溜井池田城の復元枯山水庭園跡龍王山城は、龍王山に築かれており、規模は南北に1.2kmに及んでいる。南城の最高所の標高は585.9m、北城の最高所は60mほど低い位置にある。どちらも戦国期末期の改修が認められるが、全般に北城の方が新しい。1540年(天文9年)の前後の十市遠忠の居城時代と、永禄時代-天正初年
(ウイキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BE%8D%E7%8E%8B%E5%B1%B1%E5%9F%8E
「龍王山城跡」より一部引用)
コースタイム
JR柳本駅(70m) | 9:14/9:30 | 歩行時間 | 3:25 | 守山駅 | 7:31 | 新三田 | 6:57 | |
長岳寺(100m) | 9:50 | 休憩時間 | 0:45 | 京都駅 | 7:59/8:06 | 川西池田 | 7:23 | |
稜線(270m) | 10:35/10:40 | 測定機器 | スマホ | 近鉄平端駅 | 8:59/9:04 | 尼崎 | 7:34/7:36 | |
不動石仏 | 10:50 | ソフト | Geographica | 天理駅/JR天理駅 | 910/9:22 | 大阪 | 7:43/7:53 | |
奥の院分岐(430m) | 11:00 | 測定点数 | 484 | JR柳本駅 | 9:27 | 鶴橋 | 8:09/8:18 | |
手洗い所WC(520m) | 11:20/11:25 | 歩行距離 | 8.937km | |||||
分岐 | 11:25 | 累積登高 | 650m | 近鉄西大寺駅 | 近鉄西大寺駅 | 16:54 | ||
山頂、南本丸(585.5m) | 11:55/12:30 | 累積下降 | 458m | 京都駅 | 16:45 | 鶴橋 | 17:19/17:24 | |
手洗い所WC(520m) | 12:40 | 守山駅 | 17:15 | 大阪 | 17:38 | |||
馬池、北本丸入口(480m) | 12:55 | 川西池田 | 18:01 | |||||
藤井川沿い林道 | 新三田 | 18:30 | ||||||
天理ダム(270m) | 13:40/14:25 | |||||||
タクシー | ||||||||
近鉄天理駅 | 14:40:0014/56 | |||||||
近鉄西大寺駅 |
龍王山トラック地図 |
参加者 南井、梅川、清水、白柳、深尾、村上、山岡 計7名
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