日本最大の流域面積と水量を持つ利根川の水源はどこか。地図を見れば、およその場所は誰でも指さすことはできる。翼を広げ、東を向いた鶴の形の群馬県の左の翼の先端、群馬県の最北端である。
そこに立つ山は、利根川水源の山との意味を込めて「大水上山」と名付けられている。奥利根には東京に水や電力を送るため、藤原ダム、須田貝ダムそして八木沢ダムという大きなダムが築かれてきた。しかしそれらのダム湖の上流は多くのゴルジュが連続し、危険な雪渓が行手をはばむ秘境と言えるところだった。大正から昭和前期には群馬県が何度か探検的調査隊を送っている。今でも、登山のエキスパートのみが立入りできる地域だ。
利根川水系にルーツを持ち、そこに育った者として調査報告等の文献を読んだりして以前から訪れてみたかった利根川水源だ。
好きな歌人、若山牧水の代表作「みなかみ紀行」は利根川上流の吾妻川や片品川の渓谷や森を描いたもので、少年時代に読んで、旅が好きになったきっかけを作ってくれた本だ。
「いよいよ本流をつめて大水上山へ。
ぼくはかつて、雪のある時分この山頂を訪れたことがある。曽遊の山はどこによらずいいものだ。7月の頂きは一面の石楠花の花盛り、足の踏場もないという繚乱さー。
疲れた身体を程よい弾力の枝にたくしてながくなる。花の向こうには、はるかに魚沼の平原がー、花と花のあいだからは、登ってきた大利根がびっくりするほど遠方に眺められた。
大利根の水源はこの花叢のすぐ下の五百坪ばかりの雪田からポタリポタリと滴っている。
中略
ぼくは七月の太陽の下、石楠花の花に寝て、もう一度ゆっくりと大利根の旅を反芻し、水筒にくんだ二度と味わうこともあるまいと思われる水源の水をゴクリとおいしく飲み干したのであった。」
1991年10月、6名でテントを背負い銀山湖から荒沢岳、灰ノ又山(泊)、兎岳、中岳(泊)そして越後駒ヶ岳を縦走し駒の湯へ降りた時、兎岳から大水上山へはすぐそこだつたが、天気も悪く、あきらめてから30年も経ってしまった。
西側の六日町市十字峡から国境稜線の丹後山へ直登し、そこから大水上山へ稜線歩きで到達できることそして丹後山には避難小屋もあることを知ったのは7、8年前のことだった。
2021年7月31日(土) 晴れ
新型コロナウイルスの感染拡大で、山へ出かけることも少なくなり、鬱屈した気持を晴らしたいと7月末日の6時半、車で十字峡に向かって出発した。
土曜日定例のNHK第一の「石丸謙二郎のやまカフェ」を聞きながら走る。ゲストは国際山岳医の大城和恵さんで、脱水症の予防として、水分摂取、特に「初期に水を多くとる」ことを強調していました。
北陸道、上信道と乗継ぎ、長岡から、上越道を引返すように六日町ICを出てすぐにイーオンがあり、食品を少し買い足し、安いガソリンを満タンに仕込んだ。
三国(サグリ)川を約15km遡って十字峡の登山センターに14時に着いた。620kmのドライブだった。
センターは無人で、3台ほどの車が止まっていた。
三国川上流への入口は閉鎖されていて、先は落石が多いので注意との警告があった。登山届を提出する箱も据えられている。少し先まで散歩がてら往復した。
センターは利用料1000円。2階の150平米ほどが宿泊にあてられていて、電気と水道も利用できる。
入った時は、誰もいなかったが、夕刻、老婆がやってきた。後で話を交わすと白髪に髪を染めた、40代ほどの女性だった。明日は丹後山、大水上山、兎岳、そして中ノ岳の避難小屋まで行くとか。帰りは中ノ岳から十字峡へ直接降るらしい。なかなか意欲的だ。
十字峡 手前から上へ流れる三国川へ右手前の黒又沢 と左]むこうの下津川が合流する 少し変形した十字 |
十字峡登山センター 丹後山、中ノ岳登山の基地 | |
十字峡林道入口 三国川沿いの林道 丹後山、大水上山 方面への入口 落石の危険性から車は進入禁止 登山届けもここて゛投入 |
8月1日(日) 晴れ
昨夜早く寝たので3時過ぎに目を覚ました。
渓谷の左岸沿いの林道を3kmも行くと栃ノ木橋があり、これを渡りさらに100m先に丹後山登山口の標柱が立っている。標高530mだ。
ここから早速急勾配の路となる。人がよく使っている路らしく、草が覆いかぶさっているということはない。
しかしこれから100mを上がる間、ブヨがうるさくまとわりつき、落ち着いて登れない。北海道では、虫除けネットを用意したものだが、今回は全く思いつかなかった。
とにかく張り出した尾根の頭、930m地点をめざす。標準で2時間半の行程だ。
標高700m地点で一合の標石が打たれている。登山口の0合はないものの丹後山山頂までを10区分して設置されているが、その基準が高度差なのか、距離なのかはっきりしない。
800m付近で休んでいると、センターで一緒だった女性が追いつき、抜いて行った。
急な登りの先の目標にしていた930mの標点らしいものはなく、そのまま通り過ぎた。
国境稜線までまだ標高差800m近い。後は100mないし30分を目安に長い稜線を登って行った。
日本全国、特に日本海側の新潟県は猛暑ということで、朝早く出発したが、すでに陽がさして暑い。汗も吹き出してくる。
今回カメラもiPhoneのみとするなど、大分軽量化したつもりだったが、大城先生の指導に従い水は3L弱を用意して、十分な補給はできたが。暑さには参る。
丹後山登山口 | いきなり400mもの急登が始まる |
南側は越後沢(1860.6m)の西斜面が笹に覆われている。標高1700m、7合目までは、ずっと同じような登りと景色が続く。
7合になると先に、何個かの岩が天に突き出した急なピークが見えてくる。単調な登りに飽きてきた頃だったので、ここは気張って登る。8合の標石があり、六日町方面がよく見渡せる休憩場だった。携帯の電波も届いている。丹後山山頂手前の避難小屋をめざす。
ここからは国境稜線も標高差100m、距離にして600mでもう着いたも同然とゆったりした気持ちになれた。路も一面の笹原の中のゆるやかなものだ。
7合付近から8合の岩頭を見上げる | 8合 六日町、魚沼平野等の展望がいい | |
8合付近から見た丹後山 |
国境稜線が9合で、北に折れて10分も歩くと丹後山避難小屋に着く。本当に広々した笹原にポツンと建つ小屋は童話の中みたいだ。
小屋着11時55分、出発から7時間40分.当初の期待値より1時間10分余計にかかっている。最近の体調や運動不足を考えれば妥当なところかもしれない。
水分については結局1.5L程度しか飲まなかったが、それでも少し腹の中がチャプチャプしている感じだった。
小屋は2階建。スチール構造で、内張や床は木製、そして外張りはトタン張りとしっかりしている。15〜20名を収容できる。
水は屋根の天水を440Lのポリの貯水そうに流し込むもので、澄んだ水が満タンになっていた。手入れもよくされていて、アルコール消毒液も20本程度用意されていた。
丹後山避難小屋 | 丹後山避難小屋 |
2度目の昼食をした後、大水上山へと往復する。
小屋へ着いた当座は東南に平ヶ岳も、見えていたが、東側も北側も、雲に覆われてしまった。
笹原の中をきれいに切り開いた路は歩きやすい。イブキトラノオ、ニッコウキスゲ、ハクサンフウロ、コバイケイソウなどの花の他にアキノキリンソウやキオンなどの秋の花がちらほら見られた。花はすっかり終わったシラネアオイの株も路の際に見ることが
大水上山へは小屋から2km、結構歩く。
薄雲が頭上に広がり、東の濃い雲からは時々雷が鳴るようになった。
大水上山は手前の1834m(南峰)と奥の1831mピーク(北峰)があり、東面にふたつの雪田があって、南峰にかかった三角形の雪田が利根川の水源とされている。この南峰に昭和63年に群馬県知事が建てた水源碑がある。県全体が利根川水域からなる群馬県のこだわりだ。
よければ兎岳まで行くつもりで出てきたが、次第に雷鳴か多くなり、ガスも出てきたので、北峰の手前で引き返すこととした。
この夜は晴れ時々曇りで夜中に起きると上弦の月が明々と照っていた。北カシオペア、北斗七星そして北極星はよく分かったが、南の星は分かりにくかった。
今回初めてiPhone12proで星空撮影を試みたが、写っていなかつた。
丹後山避難小屋脇のイブキトラノオ(タデ科) | 丹後山山頂(1808.5m) | |
キオン(キク科) | ハクサンフウ(フウロソウ科) | |
大水上山の利根川水源の雪田 | 群馬県の建てた利根川水源の碑 |
8月2日(月) 晴れ
4時30分頃から空が明るくなり、北北東の空が赤くなってきた。4時50分には日がのぼり、一面が赤く染められた。
簡単な朝食を取ってまた大水上山、そして兎岳へと出発した。
空気が澄んで、昨日の午後とは大違いだ。丹後山避難小屋へ泊まった甲斐があったと、気分よく稜線を行く。昨日は見えなかった、中ノ岳や越後駒ヶ岳も見えて、迫力のシーンだ。
大水上山北峰から見る三角雪田はハート型にも見える。ナウな若者にはその方が心に訴えるかもしれない。
朝日 | ||
大水上山から北の展望 入道岳、中ノ岳、越後駒ヶ岳(中ノ岳の右後ろの 小さなピーク)小兎岳、兎岳 |
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平ヶ岳 |
兎岳(1925.6m)へはいったん下ってから、150m登る。中ノ岳、越後駒ヶ岳そして荒沢岳が見渡せる。
最終地、兎岳を後にして、丹後山避難小屋へ戻る。
大水上山北峰から見た南峰と利根川水源の雪田 | 中ノ岳、越後駒ヶ岳、小兎岳、兎岳 | |
兎岳山頂(1925.6m) | クルマユリ(リ科) | |
兎岳山頂から北の展望 中ノ岳、越後駒ヶ岳そして右端に荒沢岳 |
戻ってすぐ、8時に小屋を出て、帰路に着く。
一方的な下りで別に問題ないと気も楽に8合そして7合へ下る。
7合以降は、下りに下りを重ねて、100mそして100mと標高を下げてゆくが、さすがに大変な下りで疲労感も出てきた。朝の3時間の稜線歩きほ案外無視できない可能性もある。
最後の急降下の始点、標高930m地点に着いて、安心したものの、この後の下りは、疲れがどっと出たようで、標高差100mを残すところで急に荷が重くなり、足に力が入らなくなった。初めて経験する疲労だった。
10分ほど休んで、回復して登山口へ降り立った。
ここから約40分.林道を歩いて十字峡の登山センターに着いた。
センターで汗まみれの身体を拭き、着替えをしてから帰路に着いた。
往路と同じ高速道路を使い、休みを取りながら、川西に帰着した。
日本海側の道はカーブも少なく、空いていて無理なく走りやすい。
今回、年齢、新型コロナウイルスによる運動不足、そして酷暑等の要因で思わぬ疲労をする結果となり、今後を考えて行かねばならない山行きだった。
7合付近の下り | 日向山と中ノ岳 |
コースタイム(ジオグラフィカ記録)
利根川水源 大水上山コースタイム | |||||||
7月31日(土) | 8月1日(日) | 8月2日(月) | |||||
川西IC | 6:30 | 登山センター(440m) | 4:15 | 丹後山避難小屋(1800m) | 5:30 | ||
多賀、尼御前 | 登山口(530m) | 5:00 | 丹後山(1808.5m) | 5:35 | |||
有磯海(食事)、谷浜SA | 696m | 5:35/5:40 | 大水上山南峰(1834m) | 6:00 | |||
六日町IC | 15:00 | 866m | 6:15/6:20 | 大水上山北峰(1831m) | 6:15 | ||
イーオン(買物、給油) | 15:05/15:30 | 993m | 7:05/7:10 | 兎岳(1925.6m) | 6:55/7:05 | ||
十字峡登山センター | 15:50 | 1086m | 7:35/7:40 | 大水上山北峰(1831m) | 7:35 | ||
1190m | 8:05/8:15 | 大水上山南峰(1834m) | 7:50 | ||||
走行約620km | 1267m | 8:25/8:30 | 丹後山(1808.5m) | 8::10 | |||
1327m | 8:50/9:05 | 丹後山避難小屋(1800m) | 8:20/8:30 | ||||
1420m | 9:30/9:35 | 1672m | 8:50 | ||||
1516m | 10:05/10:10 | 1419m | 9:30 | ||||
1590m | 10:35/10:40 | 1105m | 1015/1020 | ||||
1680m | 11:00/11:05 | 1041m | 1045/1050 | ||||
1723m | 11:25/11:30 | 936m | 1115/11:20 | ||||
1775m | 11:45 | 831m | 11:40/1:45 | ||||
丹後山避難小屋(1800m) | 11:55/12:20 | 709m | 12:00/12:05 | ||||
丹後山(1831m) | 12:40 | 600m530m | 12:25/12:30 | ||||
大水上山南峰(1834m) | 13:10 | 登山口(530m) | 12:40/12:45 | ||||
大水上山北峰手前 | 13:20 | 登山センター(440m) | 13:35/14:30 | ||||
大水上山南峰(1834m) | 13:35 | 六日町IC | 15:00 | ||||
丹後山避難小屋(1800m) | 14:00 | 越後川口、有磯海(食事) | |||||
尼御前、多賀SA | |||||||
川西IC | 3日(火) 1:50 | ||||||
走行約620km | |||||||
歩行距離 | 9.14km | 歩行距離 | 11:58km | ||||
累積登高 | 1609m | 累積登高 | 569m | ||||
累積下降 | 268m | 累積下降 | 1919m | ||||
山行所要時間 | 11:45 | 山行所要時間 | 8:05 | ||||
実歩行時間 | 10:05 | 実歩行時間 | 7:10 | ||||
全休憩時間 | 1:40 | 全休憩時間 | 0:55 | ||||
測定点 | 350点 | 測定点 | 377点 | ||||
使用ソフト | ジオグラフィカ | 使用ソフト | ジオグラフィカ |
大水上山トラック地図 |
参加者 会員1名(清水)
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