三上山、繖山(きぬがさやま)、安土城址の山行記録/関西の山の会会員募集「山があるクラブ・Ⅱ」登山クラブ

山行記録

三上山(432m)、繖山(きぬがさやま)(432.5m)、安土城址(安土山)(198m) 

20131月26日(土)晴
126日(土)大津地方の天気予報は曇り時々雪最高気温3℃であった。寒い一日になるだろうと身構えたが、雪が降ることもなく時々陽が差してまずまずであった。総勢4人(大阪方面から2人、滋賀県内から2人)、三上山、繖山ともに滋賀県在住者にはなじみの山であるが、他府県の人には気になりながら低山(いずれも432m)ゆえわざわざ計画するほどでもないのでしょう、大阪方面からの2人は今回が初めてであった。三上山に繖山と安土城址を加えて累積登高約800m程度のそこそこの山行となった。

 8:30東海道本線守山駅に集合し車で三上山のふもとの御上神社に向かい、車を置いて表参道からまっすぐ頂上に歩き始めた。途中に二つに裂けた巨大な岩が登山道の正面に立ちはだかっており、裂け目の幅は35cm程度、我々のメンバーはみなスリムで3人難なくここを通過した。1人は生地の薄いインナータイプのダウンジャケットを着用していたため擦れ傷を恐れて迂回したが、ジャケットを脱げば問題なく通れたでしょう。とても硬い岩でどのようにして二つに裂けたのか、おそらく大昔に周囲が陥没して三上山が残ったときにできたものであろう。表参道コースは登山道に硬い岩が露出していて低山ながら面白い。

 山頂には鳥居とお社がありここから西を見渡すと、麓に野洲川が流れその先に昨年例会山行で歩いた鶏冠山をはっきり見ることができる。三上山は近江の平野部や琵琶湖をとりまく山々からその特徴的な富士山に似た姿を見ることができる。とても目立つ山で近江富士とも呼ばれて古くから親しまれ、俵藤太のムカデ退治の伝説、御上神社のご神体と崇められるのも当然のことであろう。我々は山頂で10分休憩して裏参道打越経由で車に戻った。往復1時間50分のミニ登山であった。御上神社を参拝して次の目的地きぬがさ山へ向かった。

     
 三上山 割石 幅35cmほどの割れ目
を抜ける (南井氏撮影)
   裏道麓にある天保の義民の碑の広場 天保13年(1843年)
田畑の測量で面積が大目に出てくる不正な物差し竿を使っ
た幕府役人の検地に4万人もの農民が抗議して10万日の延
期を約束させた しかし主要人物、義民の多くは殺された
(南井氏撮影)

 滋賀県立安土城考古博物館、信長の館に隣接する瀟洒な総合体育館安土マリエートの駐車場に車を置かせてもらい、雲の合間から差す陽光を背に受けて桑實寺経由で繖山へ向かう。
 桑實寺の参道入り口に簡単な門があり、これより先境内は入場料300円必要との立て札を見て門をくぐると、そのたびにチャイムが鳴る。本堂までの間しばらく石段が続くが山側の壁面も谷側の石垣もすべて自然のままの石で組み上げられており、寺建立の苦労が偲ばれる。ただ通過するだけで300円は少々・・・と思ったけれで、門を入ってまもなくこれは一見に値すると思った。

 入山料を支払ったときにもらった寺の縁起によると、桑實寺本堂は戦国時代も戦火に遭わず、現在も南北朝時代(白鳳6年)に建立されたままの姿で立っているとのことである。立派な桧皮葺の屋根を持った入母屋造りの建物で、中には薬師如来が安置されている。 寺を出るときにも簡単な門があって、やはり一人通るごとにチャイムが鳴った。

     
 桑実寺の石段と石垣    桑実寺本堂 南北朝時代創建の桧皮葺きの
建物で、重要文化財に指定されている 

 観音城本丸跡を経由して観音正寺に入りここで少し遅めの昼食を取った。低く垂れ籠めた雲からは斜めにいく条も薄墨の刷毛で刷いたような筋が下がっており、雪時雨になっているのであろう。しかし我々の立つところは陽が差し、境内の石造りのベンチで採る弁当も寒くはない。
 観音正寺本堂に安置された本尊はインド政府から特別の許可を受けて輸入された白檀の原木を使って作られた高さ丈六の総白檀造りの千手観世音菩薩坐像で、平成16年5月22日に本堂の落慶法要と同時に開眼法要が営まれたと寺を紹介するホームページに書かれている(http://www.y-morimoto.com/saigoku/saigoku32a.html
 千手観音は白木造りでお顔は膨よか知的でしかも優しく、私はとても身近に感じた。大きさ、白檀、お姿、白木造り、ごく最近の作、これらが私にそう感じさせたのであろう。

 寺から繖山の三角点に向かった。国土地理院の地図には標高432.5mと記されているが、その横に立てられた繖山の案内板には433mと書かれている。四捨五入したのか案内板の位置は三角点より50cmほど高いのでそのようにしたのか、設置者の少しでも高くと思う気持ちを感じて微笑むましく思った。432mをとれば奇しくも三上山と同じ高さである。

 
 観音正寺から南方、三上山方面を望む
隣に六角氏の居城、観音寺城跡がある
  繖山山頂付近から西方、比叡山~比良連峰の
絶景 比良の手前へ奥島山、西の湖、そして
その手前が安土城址のある安土山

 三角点から安土山への道をたどると、山道に西国三十三箇所を代表するのでしょう、石仏が道標のように据えられ、安土山との境、北腰越に向かって順に石仏を案内する立て札の番号が増えていく。
 北腰越から直接安土城へ向かうと思しき山道があったが、總見寺への道で安土城へは行けませんと書かれた立て札があり、山裾の道を安土城跡入り口に辿った。入場料500円を払って城跡に入り本丸跡、信長公本廟、天主跡、總見寺、三重塔をゆっくり見て帰途に着いた。守山駅での解散は17:05間もなく日没の時刻であった。

 蛇足ながら、繖の意味が気になったので漢和辞典を見た。読みはサン、意味は絹張りの傘、糸+散でばらばらと水が四方に散るの解とあった。 (市橋)

     
 安土山(198m)頂上の天主台の礎石群
地上6階、地下1階の八角の天主が聳えていた
   安土城址付近から望む繖山(432.5m)
麓に考古博物館や文芸セミナリオ等がある


俵藤太とは
 三上山の百足(ムカデ)退治伝説で知られる俵藤太とは藤原秀郷のことです。藤原氏の主流となる北家の流れで藤原鎌足ー不比等ー房前(北家)ー魚名ー(3代)ー秀郷となっています。平将門が関東で反朝廷の謀反(939年 天慶の乱)を起こして収まりがつかなくなったとき彼が将門の追討に成功します。このことから東北地方、北関東(下野(栃木県)、常陸(茨城県))に大きな地盤を作り上げます。討たれた将門の霊を鎮めるために祭ったのが東京の神田明神でまた三社祭りが毎年行われています。
秀郷ー(5代)ー清衡(奥州藤原)ー基衛ー秀衛につながる他、秀衛の家臣から義経の家臣となった佐藤継信、忠信兄弟や東北に多い佐藤姓の一族、都にも歌人西行(佐藤義清(のりきよ))も8代の末です。他に足利氏、(藤原で清和源氏のものとは別)、佐野氏、小山氏、結城氏、九州の武藤氏、大友氏、立花氏、少弐氏、鍋島氏という諸氏の先祖です。

 ムカデ退治については私が小学校生だった時代には、絵本になっていたものです。近江の国の瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、橋を渡れなくなってしまっていたが、そこを通りかかった俵藤太は恐れることなくその大蛇を踏みつけて渡ってしまった。この蛇は琵琶湖の竜神の一族の美しい娘が姿を変えたものであった。夜、その娘が藤太を訪ね、龍神一族が三上山のムカデに苦しめられていると訴え、ムカデ退治を懇願した。
 藤太は快諾し、剣と弓矢を携えて三上山に臨むと、山を7巻き半する大ムカデが現れた。藤太は矢を射たが大ムカデには通じない。最後の1本の矢に唾をつけ、八幡神に祈って射るとようやく大ムカデを退治することができた。藤太は龍神の娘からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた。また、龍神の助けで平将門の弱点を見破り、討ち取ることができたという。
ウイキペディア 藤原秀郷 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%A7%80%E9%83%B7
(清水)


参加者 会員4(市橋、清水信、南井、村上)

コースタイム

三上山 繖山、安土城
守山駅 8:30/8:35 所要時間 2:15 あづちマリエートP 11:25/11:35 所要時間 5:55
御上神社P 8:45/8:50 休憩時間 0:35 桑実寺山門 11:45 休憩時間 2:20
登山口 9:00 歩行時間 1:40 桑実寺本堂 12:00/12:10 歩行時間 3:35
妙見堂跡 9:15 歩行距離 3.34km 観音寺城跡 12:30 歩行距離 8.64km
割石 9:30/9:35 累積登高 473m 観音正寺 12:40/13:20 累積登高 703m
展望台 9:50 繖山 13:40/13:45
頂上 9:55/10:00 北腰越 14:20/14:35
花緑公園分岐 10:20 安土城入口 14:45
登山口(天保義民碑) 10:30/10:35 安土城本丸、天守台 15:05/15:20
御上神社P 10:45 総見寺三重ノ塔 15:25/15:30
安土城入口 15:40
休憩所 15:45/16:05
あづちマリエートP 16:15/16:20
守山駅 17:05/17:20

三上山、繖山、安土城計
所要時間 8:10
休憩時間 2:55
歩行時間 5:15
歩行距離 11.98km
累積登高 1176m


 
                三上山トラック地図

 
                                 繖山、安土城(安土山)トラック地図

この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである。

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