南アルプス 三伏峠~荒川岳、悪沢岳個人山行記録/関西の山の会会員募集「山があるクラブ・Ⅱ」登山クラブ

山行記録

南アルプス 三伏峠~荒川岳、悪沢岳 個人山行

2015年7月30日(木)~8月2日(月)

 私の南アルプスの山行で最も思い出深いのは四国から夜行列車を利用して静岡や甲府まで行き、テント泊を続けた縦走だった。
 1976年夏の縦走は畑薙ダム~椹島~千枚岳(泊)~悪沢岳~荒川岳~大聖寺平 ~赤石岳~百間洞(泊)~兎岳~聖岳~聖平(泊)~上河内岳~茶臼岳~ウソッコ沢(泊)~畑薙ダムの周回コース。千枚岳から荒川岳南面までずっと見続けた赤石岳の量感あふれる姿とお花畑そして聖平と上河内岳周辺のお花畑が素晴らしかった。

 1977年夏の縦走は広河原~大樺沢(泊)~八本歯コル~北岳~間ノ岳~農鳥小屋テントサイト(泊)~西農鳥岳~農鳥岳~三峰岳~熊ノ平~新蛇抜山~北荒川岳~雪投沢源頭(泊)~塩見岳~三伏峠(泊)~塩川のコースだ。雪渓登り、北岳山頂のお花畑、それから北岳や塩見岳の鋭い峰が強く心に焼きついて残った。
 共に同じ勤め先の若いメンバー3名が一緒だったが今でもよく気の合った素晴らしいパーティだったと思う。

 このふたつの縦走のコースの間はそれ以後も足を向けることなくずっと来てしまった。標高こそ2,800m級を越える山もあるが、何しろ北も南も3,000m峰が連なっていてこの間はどう見ても見劣りして不遇をかこっている稜線としか言いようない。 しかし山岳地図を見ればこの稜線にはいくつものお花畑が点在していて、静かな山旅が楽しめるのではないかと思っていた。
 この間を歩くことで、南アルプスの北の地域と南の地域が繋がるというのも面白いとの思いはいつの頃からあったが、何しろアクセスが容易でなく、しかも登り口と下山口が別になるのも躊躇する理由だった。できれば自由度のあるマイカーで出かけたい。しかし東名高速ー静岡ー畑薙の道はなぜか混雑、距離が長いという思いがあって気が乗らない。どうしても慣れた信州側、中央道からアクセスしたかった。

 一昨年7月末には小渋川を遡行して広河原まで往復した。もちろん広河原から大聖寺平へ上がり、荒川岳、悪沢岳を経て三伏峠、そして鳥倉林道登山口へ下る予定だったが、天候が悪くなり、目的だった写真も期待できないため、広河原で1泊してまた沢を下った。
 この小渋川の遡行は昔は5~7時間かかるとされていたが、今の地図では3時間半程度となっている。上級者コースとされていて多少のヘツリもある。石の河原歩きが多く、渡渉は20数回だった。幸いこの時は水量も少なく、深いところでも精々股下程度の渡渉だった。
 この小渋川コースは三伏峠までの周回コースがとれるものの、車を集落、大河原から10kmの奥、湯折に置いて山を周回して鳥倉林道をバスで下り、大河原でタクシーを呼び車を取りにゆかねばならないのが難点と言えた。
 逆コースを取る場合は、川の水量等の状況を山を下る前に知らないでは降りられない。広河原に降りてから立ち往生、そしてまた山を登り返さねばならない危険がある。小渋川を遡行し稜線に登ってきた人が寄る荒川小屋で、情報を得るしかない。

 麓の大鹿村は地理的にも歴史的にもそして文化的にも特色ある村で、ここで詳しく述べることはできないが以下に簡単に羅列する。
 ①明治に大河原村と鹿塩村が合併(1875年)、分離そして再度の合併(1889年)してできた村。
 ②中央構造線(小渋川)に位置している。地質的にもろく、1961年には大雨で大規模の崖崩れが起こり55名が亡くなっている。この後博物館としてはユニークな「村立中央構造線博物館」が開設された。
 ③天然塩が温泉水として出て、日本では珍しい内陸産の塩が取れる。鹿塩、鹿塩川、塩川等の地名のもととなった。
 ④日本の中央にあり「日本のへそ」と称している。リニア新幹線が抜ける通路となり、トンネル工事゛から出る膨大な岩石や土砂をどこに持って行くかが今問題となっている。
 
 ⑤南北朝の騒乱時、後醍醐天皇の皇子、宗良(むねよし、むねなが)親王がこの地を根拠地として北朝方相手に戦った。
 ⑥そして春と秋の大鹿歌舞伎は250年の歴史を持ち、東京や大阪の歌舞伎俳優も訪れたり、これに話題を取った喜劇映画「大鹿村騒動記」(2008年、主演原田芳雄、三国連太郎、松たか子、佐藤浩市ら)など作られている。
 ⑦全国の何か村と「日本一美しい村」づくりを進めている。
などなど。

7月30日(木) 晴れ
 朝4時に家を出る。いつも早起き、早発ちは特に苦にしないがこの日はなぜか眠気が抜けなかった。多賀、養老そして内津峠と短い間隔で休憩してようやく体調を取り戻して松川ICで伊那谷に下りた。一昨年来たばかりなので、気も楽に小渋川右岸の県道59号線を走る。大河原の道の駅「秋葉路」で鳥倉林道の状況と入口を確認する。特に道路の破損や交通規制もないとのこと。林道は道の駅から先へ700m程行くと右側に旅館「赤嶺荘」がありこの真向かいの左に分岐した道だと教えてくれた。

 鳥倉林道は思っていたよりも道幅があり、多くのヘアピンはあるものの四苦八苦することなくマイカー終点のゲートに着いた。大河原からは約14km程、30分だ。ゲートには広い駐車場があり30台は停められる。登山者用にトイレも完備されている。まだ早いせいか20台程度の車しかなかった。小型バスのメンバー10名程が出発の準備をしていた。
 ここから約40分陽が照りつける中、広い林道を登山口まで歩く。登山口にも広いスペースがあり、1日2便の松川からの乗合いバスが回転できるようになっている。トイレボックスも置いてある。すぐ後から小型バスの集団もやってきて、ここから豊口山への登りを2、3回抜かれつ、抜きつしながら登る。
 三伏峠までの路は十等分されていて約400m毎に表示がある。この表示は分数で示されx/10となっていて、全体の何割来たか、残りはどれほどかが分かり、明快で、科学的、数学的であり、私が以前から思っていた道標の理想的表示なのでうれしかった。
 初めは落葉松の林の中のジグザグ路をせっせと登る。珍しい花、オサバグサの白い花が脇に咲いている。やがて豊口山と三伏峠を結ぶ稜線のコルに出、次いでもうひとつのコルに出る。ここからは稜線の北側に付けられた巻き道を塩川分岐までたどる。
 途中の水場でラーメンの昼食にしようと思っていたが、水場はなくて、塩川分岐点のワンピッチ手前くらいしかなく、菓子程度で誤魔化さざるをえなかった。高速のサービスエリアでパンの購入を忘れたのが悔やまれた。
 塩川分岐から下る路は閉鎖されていた。以前この急な長い坂道を下ったことが思いだされたが、いずれ廃道となるのだろうか。
 塩川分岐から20分、三伏峠小屋に着いた。一息入れて、ラーメンを作っていると、小型バスの集団もやって来た。写真のシャッターを頼まれたが、滋賀県の「浅井山の会」のメンバーと紹介された。「よく湖北の山にも出かけてますよ。」とか「小谷城へも行きました。」など短い話をして別れた。

   
鳥倉林道ゲート前の駐車場    鳥倉登山口 ゲートから徒歩約40分 バスは1日2便 
     
分数表示の道標 最も分かりやすく科学的な表示     

 この三伏峠の小屋に泊まるのは早すぎるので、目的の小河内岳めざして出発する。シラビソの林を抜けると、水場への分岐があった。周りはまばらなダケカンバに囲まれたお花畑で気持ちがいい。ここから5分程度で水場と訊いていたが、ポリタン2個を掴んで下ると意外と遠い。標高差50m、10分近くを下ると掘っ立て小屋がありその脇に水が出ていた。来た路を登り返して、荷を担ぎ直し、お花畑に咲いたマツムシソウの写真を撮ったりして進み、烏帽子岳の手前の小ピークで小休憩とする。
 手前の谷からは雲が湧き上がってきたり、引いたりしていたが、深い谷から険しい壁をそばだたせて連なっている前小河内岳から小河内岳は立派だ。小河内岳の山頂の左には点のように小さい避難小屋が見える。随分と遠く見える。小河内岳の左奥の三角形は悪沢岳らしい。
 まずはこのふたつの峰よりも左に立っている烏帽子岳に登らなければならない。急な路をがんばりを利かせて登りきり、そこからはスピードを上げて前小河内岳から小河内岳へと向かう。幸い路もまずまず、登りも大したこともない。少し遅めの到着ながら17時半小河内岳避難小屋に着く。小屋の管理人から「もう遅いので食事は出せません。」と言われたがそれはこちらも期待していなかったので、寝具のみ借りる寝具つき(500円)素泊まり(計6,000円)となった。
 泊まり客は中高年男性、6名だった。、塩見岳をめざして北へ行く人、赤石岳への縦走で南へ行く人それぞれだった。

   
三伏峠下のお花畑と水場の分岐 後の山は塩見岳    烏帽子岳手前から前小河内岳(左)、小河内岳(右)
奥中央は悪沢岳  
   
小河内岳避難小屋 山頂のすぐそば     


7月31日(金) 晴れ
 この朝、食事の用意などしていてご来光は見ずに終わった。ほぼ予定の時間に小屋を出る。ハイマツの中の路を行くとすぐに小河内岳の山頂に出る。太く立派な角柱に「小河内岳 標高2082m」の彫り込みがされている。
 頂上からはハイマツの中のゴロ石の路を下り切ると緩やかな稜線となってシラビソやダケカンバの林のが続く。時々黄色のマルバダケブキが群生するお花畑が現れる。大日影山手前から右側にはガレが現れる。大日影山は樹林の中で三角点がどこかは分からないまま過ぎる。進路は左に曲がり、板屋岳との間のコルをめざして下る。このあたり路が狭く暗い。鞍部から登り路を少し行くと板屋岳と書かれた黄色い標柱が立っている。ここも林の中で見通しは利かない。板屋岳からは右側がガレの細い路がずつと続き、多少緊張しながら下る。マルバダケブキ、タカネコウリンカなどのお花畑も点在する。やがて森の中の路となり、緩やかな下りとなる。
 目の前がマルバダケブキの広く明るいお花畑の斜面となると、そこには高山裏避難小屋が建っていた。そこでひと休み。小屋の管理人のオジさんが茶を出してくれた。聞けば77歳と言う。「まだまだ若者には負けない。戦後の混乱期に育った昭和10年代生まれはね。強いよね。そうでしょ。」 それを聞く私もうれしい。小屋の販売品の品書きのモモ缶に目が行き、500円で購入した。今回休憩を待ち遠しいものにしてくれる果物等は何も持ってこなかったので貴重な買い物だった。「空き缶が出るからここで食べて行ったら。」と言ってくれたが、この先の山頂か、大休みするときに開けたかったのでそのままザックにしまった。
 この小屋の水場は沢を下ることになるので、予定通り荒川岳への路の途中にある水場を利用することにして、出発した。登り路が続いたりして約30分後に水場に着いた、鉄管から出ている水は冷たく、味も良く、ここでまたレトルトのカレーライスを使っての昼食とした。

 
板屋岳の西や南は大崩壊地 その脇をたどる危なげな路が続く
 
  高山裏避難小屋とマルバダケブキのお花畑

 ここからも林の中の細い路を行く。鎖の付いた小さな岩場もあるが、何の問題はない。やがて木々の背が低くなり潅木帯になると、前に荒川岳の稜線が見えてくる。標高差は600mを越える。路の傾斜が急に増したのと、強い日ざしが辛い。前が開けてくると前岳カールの下の標柱に出た。
 ここからカールの底には稜線に向って幅15mほどの一直線の石コロの流れが続いている。よく見ればこの石コロの中にジグザグの路が作られている。歩きにくいものの、この路を我慢強く登る。稜線が近づいてくると、ハイマツの中のガレ路となる。やがて路は左の小ピークへ向ってゆき、大きな岩を過ぎるとようやく稜線に出た。ここから前岳へは痩せ尾根で右側は大きな崩落斜面となっている。強い風のある時は注意が必要だろう。起伏をいくつか越えると標柱のある緩やかなドームが現れる。前岳だ。1976年には中岳のコルに荷を置いてここまで往復したものだ。
 前岳から中岳のコルはすぐそこで、コルにはひとパーティだろうか山ガール達がいた。挨拶を交わしてすぐに荒川小屋に向けて下る。最初はガレ交じりの路でやがてお目当ての荒川岳南面の一面のお花畑になるが、ガスが出てきて一帯を包み込んでしまった。
 黄色のシナノキンバイと白いハクサンイチゲを主体としたお花畑だが、クロユリの花も見られる。

   
前岳への痩せ尾根 右側は深く崩壊している    チシマギキョウの紫の色があざやか 
     
中岳コル 先に中岳の山頂そして右奥が悪沢岳    荒川岳南面お花畑のクロユリ 

 この先の小さな沢を横切るところが荒川岳の水場だ。小屋もすぐそこなので、ここで2度目の昼食にする。ラーメンそして高山裏で仕入れたモモ缶が疲れを飛ばしてくれた。
 マツムシソウの咲く、草原の下にしっかりした荒川小屋が建っていた。さすがにここは南アルプス中央部のメインルートの山小屋だ。多くの宿泊客が外のテーブルに集って賑わっていた。
 
 心配だった小渋川の状況を小屋の人に聞くとこの夏まだ誰も小渋川を遡行して荒川小屋へ登ってきたパーティーはなくて、全く分からないとのこと。しかしどこの山小屋でも水場の水量が多く、川の水量も多少多いのではないかと言っていた。同じことを高山裏の避難小屋で聞いていたので、ひとりで沢を下るのは危険とあきらめ、登り下りがあり、時間もかかる往路を引き返すこととした。
 
 8月1日(土) 晴れ
 ご来光は4:50頃なので、あわただしく朝食をかき込んでから朝焼けの空を撮影する。残念なことにこの時期は太陽は荒川岳に隠されるため日の出は見えないが富士山や右側に高くそびえている赤石岳が赤く染まるのを捉えるえることができた。
 それにしてもきれいに晴れ上がった朝で気持ちいい。昨日はガスに包まれていたお花畑をめざして出発する。
 案じていた通りお花畑の東半分はまだ陽があたらず暗い。陽のあたったところとの境界がジグザクのラインを描いていて面白いがコントラストが強すぎる。
待つこと20分、明暗のジクザクの境界がスッーと東に移りお花畑が明るくなった。今回の目的のひとつであったこの広い花の斜面を撮るためシャッターを何回も切ったがいい写真になるだろうか。

   
朝の荒川岳南面お花畑 富士山や笊ヶ岳(右からふ
たつ目) が見える
  荒川岳南面お花畑のシナノキンバイ 他には白花の
ハクサンイチゲが多い 
     
お花畑の上から見た赤石岳 右下に荒川小屋が見える     

 思ったより楽に中岳のコルに着きいた。往復3時間近くかかる悪沢岳は多少のためらいもあったが、なんとか行けるだろうと足を向ける。荷はコルに置いて嗜好品と水をナップザツクに入れて他にはカメラという軽装で出発する。
 中岳の山頂や避難小屋はあっという間に通り過ぎる。中岳山頂からの景色は360度の展望で富士山から北アルプスまで言うことない。目の前にピラミッド然として黒くそびえる悪沢岳は大きい。手前のコルへの下りはかなりの距離に感じた。しかし稜線の路はマツムシソウ、タカネナデシコ、タカネシオガマそしてチシマギキョウなど色鮮やかな花々が咲いていてはやる気持ちを和ませてくれた。時々千枚小屋からの登山者と会うようになる。

 コルからは岩場の急な路となる。大きな奇怪な形の岩の向うに見える中岳や赤石岳の姿がいい。岩場を過ぎると低いハイマツと草花の中の石コロの路になり、頂上に着く。
 中岳以上に素晴らしい展望が広がっていた。東南から西南にかけては富士山、笊ヶ岳、上河内岳、聖岳そして赤石岳が並ぶ。赤石岳はここから見るのが最も立派で大きさを感じさせてくれる。西には中央アルプスの山々の全てが、そして南駒ヶ岳と空木岳の向うには御嶽山が薄くけむりを上げていた。さらに右側へ乗鞍岳、笠ヶ岳、穂高岳そして槍ヶ岳と続く。この上天気に感謝また感謝だ。北の手前には塩見岳が正面に立ち、その左に仙丈ヶ岳が優美な姿を、そして塩見岳の右には甲斐駒が岳が突兀とした姿を見せている、その右の間ノ岳は大きく、日本第2峰の北岳をも隠してしまっている。

   
悪沢岳頂上からの南側パノラマ大展望  富士山 笊ヶ岳、布引山、青薙山、上河内山、聖岳、赤石岳そして兎岳など 
   
悪沢岳頂上からの北側パノラマ大展望 手前塩見岳奥は左から仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳そして間ノ岳   
   
赤石岳 ひだが美しい山だ    荒川中岳とその左、前岳 

 再訪を果たした悪沢岳に別れを告げ、中岳へ引き返す。昔、下り路でミヤマオダマキが多かったのを思いだしたが、今回はほとんど見られなかった。コルまで降りると登りで行き会ったワンゲルらしい6,7人のパーティが休憩を取っていた。聞けば立正大学のワンゲルとか。大きな荷を背負って頑張れる青春にエールを送って別れた。
 避難小屋で小休憩を取り、中岳コルへ戻る。

 
稜線のマツムシソウ  

 前岳からの片面崩落の痩せ尾根を注意しながら下り、カールの上に出た。はるか下のカールの底まで見通せ、ガレの石コロの路を登ってくる点粒のような人が見えた。登りは暑さで苦労したこの路も下りはなんなく降りることができた。かなりの距離と時間を要して昨日も休んだ水場にようやく着く。
 予定通りの昼食で、ラーメンと中華丼を作って食事していると後から若い男性がやってきてやはり休み取った。ザックからウエアまでブルーづくめだ。背も高く、ブルーのタイツはきというのは如何にもカッコいい。テントを持っての縦走で、赤石岳から塩見岳まで、場合によってはその先まで行きたいとか。まだこちらが食事の後片付けをしている間に先に発ってしまった。歩きも速く、荷も担げる若者が本当に羨ましい。

 高山裏避難小屋に着くと、この若者にまた会った。小屋の手前のキャンプ場を借りるとか。当初小河内岳まで行くと言っていたが、無理せずここで設営することにしたようだ。
 小屋のオジさんはまた機嫌よく迎えてくれた。「どうだい。ここに泊まるかい。」と言われたが、明日のことも考えて、「予定通り小河内岳避難小屋まで行きたい。」と言うと「それなら小河内小屋へ無線で知らせておく。」と言って通話してくれた。「無線したので安心して行きなさい。」と送られてまたこの先も長い帰路に着いた。
 少し行ったガレ場できれいなピンク色の花を見つけた。すぐにこれが南アルプス固有の花、タカネビランジであることが分かった。初めての出会いだ。
 黒い雲が出てきた荒川岳方面から雷鳴が時々聞こえて、にわか雨も覚悟したが幸い雨に降られることはなかった。板屋岳の崩壊した痩せ尾根の登りや、時々現れるお花畑を過ぎてさらに大日影山まで来ると単調な山路が続く。
 ようやく小河内岳手前のコルに着くとこの後はハイマツの中の路を登る。山頂も近くなったところで路の左側で動くものを感じて、見ると一羽の雷鳥が餌を啄ばんでいた。メス
だ。
南アルプスにも雷鳥がいることは知ってはいたが見るのは初めてのような気がする。雷鳥の絶滅を防ぐために一部は北アルプスから移したと言う話も聞いたように思う。
 ザックに仕舞い込んでしまったカメラを出して写真に撮ることができた。
 ほぼ予定通り17時前に避難小屋へ着いた。

   
南アルプスの岩場にのみに生える
タカネビランジ(ナデシコ科) 高山裏付近
   雷鳥のメス 小河内岳山頂周辺

8月2日(日) 晴れ
 この朝もきれいに晴れてご来光と富士山をカメラに収めることができた。
 朝とあって気分も気分も軽く登り下りも緩やかな前小河内岳や、烏帽子岳を足早に過ぎる。正面には塩見岳がずっと見えている。烏帽子岳を過ぎると間ノ岳の左に北岳が見えてくる。日本の1位から3位までの山が間近で見られたこととなる。4位の穂高岳そして5位の槍ヶ岳も小さいながら望むことができるので本当に恵まれた天気と言えるだろう。
 三伏峠のお花畑はマツムシソウの紫が広がり、一昨日よりずっと花の数をましたような感じがした。

 三伏峠小屋で少し休んで鳥倉林道への路を下る。10等分された道はきちんとひとつ12分で次の道標に着ける。ただひとつ不思議だったのは登りでかなり咲いていたオサバグサが何故か見つからないことだ。帰りに写真に撮ろうとしていたが、結局1枚も撮れずに降り切ってしまった。

 登山口から車を停めている林道ゲートまでは陽が照って暑かった。途中ガードレールの下にピンクの美しい花が咲いている。よく見れば昨日山で見たタカネビランジだった。
アスファルトと擁壁のコンクリートの隙間に根付いている。珍しい高山植物がなぜこんなところに咲いているのだろう。

   
小河内岳避難小屋からの黎明の富士山    ご来光と富士山 
 
三伏峠下のお花畑 マツムシソウが一面に咲いている 

 ゲートからは車で大河原に下り、小渋川沿いの道を少し行って小渋湯「赤石荘」で入浴する。食塩・炭酸水素泉できれいに澄んでいて気持ちよく湯船につかることができた。
 この後道の駅「秋葉路」へ行き、牛乳を飲み蕎麦の大盛を取り、まともな食事を取れて満足感も味わった。
 一昨年の訪問時、休館だった村立中央構造線博物館にも寄った。ここのホームページは実に立派で日本全国の地質を調べるには非常にためになる。中の展示物を見たりして新しい知識を仕込み、参考になる講演会の資料を購入したりして大鹿村を離れた。
 松川では国道脇に出展された農家や農協の果物店でモモを仕入れたりして松川ICから高速で岐路に着いた。途中止まった恵那峡SAで車から出るとまるでフライパンの上のような猛暑であったのにはびっくりしてしまった。多治見市だけでなく岐阜県の中部はいずこも暑いようだ。(清水)

 
大鹿村 村立中央構造線博物館 手前には各種の岩
石が展示されている 背景のガレは昭和36年の大雨に
よる大崩壊跡 村民55名が犠牲になった 

 参加者 会員1名(清水)

7月30日(木) 7月31日(金) 8月1日(土)   8月2日(日)   
清和台 4:00 小河内岳避難小屋 5:25 荒川小屋(2610) 5:15   小河内岳避難小屋   5:10 
中国豊中IC 4:20 小河内岳(2802) 5:30 お花畑 6:05/6:25   前小河内岳(2784)  6:00 
松川IC 9:15/9:35 大日影山(2573) 6::25 中岳コル(3050) 7:05   烏帽子岳(2726)  6:40/6:50 
大河原(720) 10:10/10:15 板屋岳(2646) 7:45 中岳(3084) 7:30   お花畑  7:20/7:25 
鳥倉林道ゲート(1650) 9:50/10:10 高山裏避難小屋(2400) 8:40/8:55 悪沢岳コル(2920) 7:50   三伏峠(2580)  7:35/8:00 
鳥倉登山口(1775) 10:50/11:00 水場(2420) 9:15/9:45 悪沢岳(3141) 8:45/8:50   鳥倉登山口(1775)  9:55/10:00 
コル(2160) 12:10/12:20 前岳カール下標柱(2500) 10:25/10:30 悪沢岳コル(2920) 9:20   鳥倉林道ゲート(1650)  10:40/11:15 
塩川分岐(2460) 12:45/12:50 稜線(3040) 12:25 中岳(3084) 9:45/9:50   大河原(720) 11:50
三伏峠(2580) 14:10/14:20 荒川前岳(3068) 12:50/12:55 中岳コル(3050) 10:05   小渋温泉 赤石荘 12:00/12:40 
水場、お花畑(2490) 14:30/15:00 中岳コル(3050) 13:00/13:05 荒川前岳(3068) 10:10   大河原 道の駅「秋葉路」  12:50/13:10 
烏帽子岳(2726) 15:40/15:50 水場(2670) 14:00/14:35 前岳カール下標柱 11:25(2500)   大河原 中央構造線博物館  13:10/13:45 
前小河内岳(2784) 16:40 荒川小屋(2610) 15:05 水場(2420) 12:10/13:00   松川  14:10/14:25 
小河内岳避難小屋(2780) 17:30 高山裏避難小屋 13:25/13:30   松川IC  14:25 
板屋岳(2646) 14:35(2645)      
大日影山(2573) 15:05      
            小河内岳(2802) 16:50      
            小河内岳避難小屋  16:55      
                     
歩行時間  6:05       8:05      10:15     4:45 
休憩時間  1:15       1:35      1:25     0:45 
歩行距離  10.7km     10.5km       14.3km     9.9km 
累積登り   1512m      1068m      1673m     312m 
累積下り   367m      1230m      1512m     1457m 
総計          
歩行時間  29:10                   
休憩時間   5:00                  
歩行距離  45.3km                  
累積登り  4565m                 
累積下り  4566m                   


 
         三伏峠~荒川岳、悪沢岳トラック地図

この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである。


今回GPSログはGarminのGPSではなく、スマホiPhone6で、昭文社「山と高原地図」アプリを使って取った。
バツテリー消費が多いので、WiFi、Bluetooth、Safari、モバイルデータ通信等は全てオフにした状態で使用した。
約20時間程度(1800mAh)ログを取れる。モバイルバッテリー(13400mAh)を持参したがそれから補充充電を繰り返せば
約100h程度ログが取れると思われる。


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